第51話 桃李言わざれども下自から蹊を成す 「史記」今度こそ匈奴の冒頓単于の息の根を止めてやろうとした漢の大作戦は,迂回して主力と合流するはずだった東軍が期日に到着できなかったために失敗,単于を取り逃がしてしまいました.東軍が到着できなかったのは自分の責任,とした李広は,部下の全軍に向かって言いました. 「匈奴とこれまで七十回戦い,今度こそ単于と戦える絶好のチャンスと喜んだが,単于の軍に回された挙句,道に迷うなどというどじを踏んだ.これも天命か,私も六十の坂を越した.いまさら報告のための尋問を受ける屈辱には耐えられない」 と言って自分の首を刎ねました.部下,軍のものがみな泣きました.これを伝え聞いた人々は,李広を知る人も知らない人も,そして老いも若きもみな泣きました. 司馬遷は李広をことわざの桃李にたとえました. 「桃や李は決して自分から物を言うわけではない.しかし,その魅力ゆえに慕ってくる人々が多いため,木の下には自然と小道が出来る」 衆に心から愛される人徳をたたえるとき,この比喩が使われます.(99/5/2) |